龍スポ

『龍スポ』は中日ファンのコミュニティサイトであり、ドラゴンズNEWSサイト

    2019年11月


    『星野仙一』についてTwitterの反応


    星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - 2018年1月4日)は、日本のプロ野球選手・監督、野球解説者、タレント。 岡山県児島郡福田町(のちの倉敷市)出身。選手時代のポジションは投手。中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。2008年には北京オリンピ
    124キロバイト (17,796 語) - 2019年11月18日 (月) 11:48



    (出典 www.nikkansports.com)



    【『星野仙一』についてTwitterの反応】の続きを読む


    ジョエリーロドリゲス・サンチェス(Joely Rodríguez Sánchez、1991年11月14日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。中日ドラゴンズ所属。 2009年3月にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んでプロ入り。
    10キロバイト (913 語) - 2019年11月26日 (火) 17:52



    (出典 hochi.news)


    今季、最優秀中継ぎ投手に輝いた中日のジョエリー・ロドリゲス投手(28)の退団が29日、濃厚になった。加藤宏幸球団代表は保留選手名簿から外すことを明らかにした上で「MLB(米大リーグ機構)が最優先と代理人が言っている。大リーグでやりたいというなら、大リーグでやるのではないか」と話した。

     来日2年目を迎えた速球派の左投手、ロドリゲスはチーム最多の64試合に登板して3勝4敗41ホールド1セーブ、防御率1.64の好成績を残した。ホールドと救援勝利を合わせて44ホールドポイントを挙げた。

    【中日、ロドリゲスが退団へ 最優秀中継ぎ投手】の続きを読む


    友利 結(ともり ゆい、1967年9月21日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。 現役時代の登録名であるデニー友利として知られる。 1967年に沖縄県で生まれた。小学生の時に野球を始めるが、途中でポジションを変えることなく投手に専念する。興南高等学校進学後は名幸
    26キロバイト (3,398 語) - 2019年11月14日 (木) 09:12



    (出典 i.ytimg.com)



    【【森繁】中日の外国人発掘ルート、そのまま巨人の手へ渡る】の続きを読む


    笠原 祥太郎(かさはら しょうたろう、1995年3月17日 - )は、新潟県新潟市秋葉区出身のプロ野球選手(投手)である。左投左打。中日ドラゴンズ所属。名前の「」は正確には示へんを崩さずに「」と書く。 小学校2年生の時に、姉からキャッチボールに誘われたことをきっかけに、野球に興味を持ち、地元の
    13キロバイト (1,653 語) - 2019年11月15日 (金) 11:45



    (出典 baseballgate.jp)


     中日の笠原祥太郎投手(24)は同学年で同期入団の柳の活躍を刺激に、4年目となる来季の活躍を誓った。

     契約更改では450万円減の1650万円でサインした。交渉を終え、記者会見場に姿をみせたのは40分近くたってから。「下がった分を取り戻そうと思って。自己PRしていました」と笑顔で話す中にも悔しさがにじんでいた。

     今季は春のキャンプから安定した結果を残し、開幕投手の大役を務めたが4月に不整脈が発覚。手術を受け、20日間はノースローの状態が続いた。最終的に8試合の登板で3勝2敗。最後まで本調子とはいかなかった。

     今季は、柳が11勝を挙げるなど一気にブレークした。「柳はすごいなと思いながらも、僕にも負けず嫌いなところがある。ファームにいて、自分は何をやっているんだろうって。来年は僕も柳ぐらい活躍しようと思います」と闘志を燃やした。

    【笠原「来年は僕も柳くらい…」 ダウン更改、同期の活躍に闘志】の続きを読む


    根尾 (ねお あきら、2000年4月19日 - )は、岐阜県飛騨市(旧・吉城郡河合村)出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 飛騨市立河合小学校2年時に「古川西クラブ」に入団し野球を始める。主に投手と三塁手を務め、ドラゴンズジュニアにも選抜された。飛騨市立古川中学校時代は「飛
    12キロバイト (1,303 語) - 2019年11月26日 (火) 02:58



    (出典 www.sankei.com)


     台湾で開催されているウインターリーグ。数多くの若手選手たちが参加しているが、中日ドラゴンズに入団したルーキー・根尾昂もそのうちの1人。2019年は1軍の試合には2試合のみの出場にとどまり、主に2軍でプレー。打率.210、33打点で規定打席に到達した。

     ウインターリーグでは外野手にも挑戦し、来季へ準備を進める根尾。今回は2017年に掲載した当時1年生だった根尾のインタビューから、少し意外なスキーの話をご紹介したい。


    「軸」を意識した投球フォームのルーツはスキーにあった
     小学校2年生から野球を始めた根尾。飛騨市立河合小では必ず部活動をしなければならない決まりがあったが、野球部がなかったので根尾は陸上部とスキー部を掛け持ちしていた。
    「陸上部に入ったのは、小さい時から足の速さには自信があったからです。また、冬になると飛騨は雪が降るので、スキーしかやることがなかったのでスキーをずっとやっていました」

     根尾は陸上で脚力を磨き、そしてジャンプの練習を繰り返すスキーで跳躍力を磨いていった。

     そして野球を始めた時から、根尾は人より速い球を投げることにこだわってきた。「速い球を投げたい、遠くへボールを投げたいという思いが今よりもずっとありました。当時は、それがどうしたら出来るかを考えて投げていたと思います」と振り返る。

     こうして投手として岐阜県でも名を知られる存在となり、小学校6年時に出場したNPB12球団ジュニアトーナメントでは、巨人ジュニア戦に先発。試合には敗れてしまったが、120キロ後半の速球を披露した。小学生で120キロ後半はなかなか投げられるものではないが、その要因を根尾は、「スキーで身につけた体軸のバランスがあったから」だという。

     「あの時から投球フォームのバランスを大事にしていました。バランスを大事にする考えはスキーの練習があったからだと思います。スキーの姿勢やジャンプするときに気を付けないといけないのは、体の軸が真っすぐになること。それができるための基礎練習をよくやっていましたので、それが野球につながったのかなと思います」

     この考えが、投手・根尾の土台となった。中学校では飛騨高山ボーイズに所属したが、さらにその理論が深まる。
     「軸が真っすぐになっている投げ方になるには、猫背で投げないことです。自分にとって動きにくい形は、投球動作において妨げになりますので。猫背になると投げにくいので、僕は動きやすさと、効率良く動けるフォームと姿勢を求めていました」

     飛騨高山ボーイズでは、ランニングの基礎練習や、自体重系のトレーニングが中心で、ウエイトトレーニングはしたことがなかったというが、成長期により体が大きくなったことで、根尾は驚異的なスピードを出す。中学3年生の時に最速146キロを投げたのだ。だがこのとき、根尾は速い球を投げようと思っていなかったという。
    「速い球を投げようというよりも、意識していたのは、軸の動きをどれだけ真っ直ぐに保ったまま投げることができるか。スピードについては体が大きくなったということもあって、いつの間にか上がっていた感じです。やはり軸がぶれたら体がうまく回りませんので」

     当時の根尾は、177センチ74キロ。大型投手ではないものの、140キロ台のストレートを投げられるのは、根尾の探究心の成果だ。

     大阪桐蔭時代までは投手と野手の二刀流で騒がれていた根尾。投打でハイパフォーマンスを見せることができたのは、たんきゅうしんはもちろんだがスキーで培った軸というのも関係していたのだった。

    【根尾昂(中日)の原型を作り上げた小学校時代。スキーと陸上が今の土台を生む】の続きを読む

    このページのトップヘ